イベリア半島 |
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2006.11.4AM11時頃自宅へ添乗員さんより挨拶の電話があった 1)11/6よりヨ−ロッパ全土の空港の手荷物検査方法が大変厳しくなった。 2)添乗員も初めての体験なのでどの程度か良くわからない。 3)ドイツのミュヘン空港からバルセロナへの乗り継ぎが最初のチエックになる。 4)チュ−ブ歯磨き、化粧用クリ−ムも含め、液体が対象、それぞれ1個が100ml以下、一人1リットルまでとのこと。 5)1個のジッパ−のある透明の袋に入れて提出すると良いとのこと。 6.)燃油サ−チャ−ジ一人26,100円と急騰について説明があった、高いと思ったが仕方ない。 |
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成田空港での搭乗風景(ビジネスクラスを優先して案内していました) |
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11/7 ルフトハンザ航空機で午後1時15分頃成田より旅立ち、私たちにとっては逆戻りだが青森→函館の上空をとおり、ロシア連邦の上空を抜け約12時間30分でドイツのミュンヘン空港へ、時差で8時間戻るので、搭乗中の時間12時間30分をプラスし、時差の8時間を差し引くと現地時間17時45分に到着予定が少し早めでしたが無事到着……思わずパチパチでした。 長時間身動きできないので足元で足首を時おり動かし軽い運動をくり返したりしていました。 お陰で二人とも気分も悪くならず、すこぶる元気でミュヘンに到着しました。 |
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情熱のフラメンコ、スペインとは?どんな国でどんな世界遺産があるんだろう、いよいよスペインにもうすぐ到着…。15年前にオリンピックも開催された都市でもある。アントニオ・ガウデイの作品とは? 現地時間2006/11/7の21時35分(日本時間では2006/11/8早朝5時35分)でした。遂にイベリア半島に到着した感激の瞬間です。 |
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11/7 1時間30分程度の待ち時間のあとミュンヘン空港から19時30分に乗り継いで目的地あこがれのスペインのバルセロナ空港に到着したのは2時間後の21時35分(機中で軽食が出ました)、通算搭乗時間14時間30分も狭い狭い座席の中で過ごしたのです……。 |
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バルセロナ |
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添乗員さんから………(空港からホテルまでのバスの中で) 1)スペイン、ポルトガルとも朝は普通だが、昼は14時位〜17時位まで3時間位かけてゆっくり食事をする、夕食は20〜22時頃、レストランは19:30頃にならないと開店しない、予約中の先には早めるようにお願いしているが、日本よりかなり遅い夕食になりますとのこと 2)トイレはほとんど無料だが、数が少ないのでトイレタイムは搾り出しておくように、それと男性用のトイレの便器の高さには参りました。身長156cmでは持ち上げないと駄目なのです。日本人のみなさんはほとんど苦労してました。 3)水道の水は飲めるようだが、添乗員からはミネラルウォ−タ−を勧められた。チャ−タ−のバスには500ccのボトル1EURで用意していました。 4)ホテルのメイドのチツプは1部屋1ユロ−、レストランは20セント 5)スペインはヨ−ロッパで一番治安が良くない、特にパスポ−トの強奪に厳重警戒、強奪のあと秘密のル−トで150万から200万円で売られる。ポルトガルは比較的治安は良いがスリ置き引きには警戒が必要とのこと 6)消費税 ☆スペインは16%、7%、5%と3段階で食品は5%交通費は7%とのこと、物価は高めのようです。 ☆ポルトガルは物価は比較的安いようですが19%、12%、5%と分かれており主に生活必需品と区別されているようですが食品も5%もあれば、12%mもあり、19%もありと様々のようです。 7)スペインもポルトガルもそうでしたが新聞は無料で早朝から道路で配布していました(新聞社は広告で発行しているようです) 8)スペインもポルトガルも車庫証明という制度はないようで、みなさん路上駐車のようです。有料の路上もあるようですがほとんどが無料?でほんの少しの隙間にもみなさん割り込んで駐車しているようです。まず道路の両側の駐車して台数の多さに驚きます、駐車スペ−スの関係でしょうか小型乗用が大半のようでした。車が出る時はほとんど隙間がないので、前後の車を押して僅かな隙間から脱出するそうです。 バルセロナに到着したのは21時35分(日本時間11/8朝の5時35分)、チエックインをしてホテルの部屋に入ったのは23時過ぎでした。お風呂のコックをひねってお湯を出したり、ス−ツケ−スからパジャマや、日本から持参した旅行用の湯沸し器でコ−ヒ−を入れる準備をしたりでゴソゴソやっていたら、24時を回っていた。リストをつくりチエックしたのに紙コップを持って来るのを忘れていた、大分よれよれになっていたが飛行機の中でもらったのがたまたまバックに入っていたの1個と、ポット備え付けのコップでやりくりして飲むことにした。そんな1杯のコヒ−だったが美味かった。(帰国したら次回のためステンレスのコップを2個購入してポットと一緒にしておくことにした) ありゃりゃ毛布が見当たらない? 家内はまだ少し整理があるらしく、朝だけ寝すごさないように起こしてもらえれば、先に寝て欲しいというので寝ようとしたら、掛け布団というか、カバ−付きの毛布というか、それらしいものが無いではないか?部屋の中に寒い時のための予備のようなものが無いか探しまわったが、見つからない。フロントに電話しても、恐らく相手に理解できるように話せないだろうし、困り果てた、日中はポカポカとした陽気でしたが夜になるとかなり冷えてきた。この薄いカ−バ−見たいものだけでは寒くて眠れそうにもない。 仕方なく添乗員さんの部屋に電話をすることにした。現地時間と言っても深夜1時過ぎである、普通なら非常識極まりないが仕方ない、まだ起きていてくれた、すみませんと言って切り出したが、嫌な感じもせず、どうしました、訳を言うと、確かに判りにくいですね、枕を取り除いてください。毛布の端が見えると思います。長い大きな枕の下に隠れていたのです。 次ぎの日このことが話題になり、添乗員にも電話せず、ぺらぺらの縞模様のカバ−のようなものだけで寝た方もいて、さすがに寒かったと言ってました。初日からやれやれでした。でもお陰で風邪を引かずに済みました。 海外を含め、いろんなホテルに泊まっていますが、こんなベットのセットの仕方は始めての体験でした。でも3時間位熟睡したのかも知れません。早朝5時ころ(日本時間は午後1時頃になるのでしょう)には目が覚めました。 |
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サグラダ・ファミリア 1.世界で唯一、入場料を支払う工事現場 天高く聳える塔と彫刻群に圧倒されました。1882年に着工し、翌年からガウディが設計に取り組む。そしてこの設計が彼の生涯をかけた作品となった。彼の死後もなお、数少ない資料を基に着々と建設が続いている。 完成している8本の塔にエレベーターまたは階段で上ることができます。完成予定はあと100年とも?未定のまま、建設中の大聖堂だが完成部分だけでも見ごたえは十分でした、建物の一部になる彫像が置かれていたり、資材も山積み、いずれステンドグラスの窓が入る予定の、窓なしの空間、正に工事中であります。 2.受難のファザ−ド(西側) この塔には誕生の門と受難の門があり、私たちは受難の門から入場しました。入口のゲートをくぐると目の前が受難のファサードでした、彫刻は反時計回りにイエス・キリストの受難の物語が表現されているとのことでした。 3.誕生のファザ−ド(東側) ガウデイは誕生の門にキリスト誕生の物語を彫刻で表現、植物、動物、人などモチ−フは多彩であり、そのほとんどは実際石膏で型どりされているそうで生身の人間に石膏を塗ったり、時には本物の骸骨を使用したりしたようです。 4.ガウディの最終建築構想 誕生のファザ−ド(東側)、受難のファザ−ド(西側)、各4塔合計8本が概観のみ完成、塔の尖塔部分は杖をデザインしているようです。ガウディの構想どおり進むと、更に南側に栄光のファザ−ドが建設され、そこにも4本の塔が聳え、3ケ所のファザ−ドは計12本となる予定です。 加えてイエス・キリストの栄光を讃えて聖堂の中央に170メートルもの塔が聳え、聖母マリアに捧げる125メートルの塔、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人の福音書家に捧げられる4本の塔が立ち、合計6本が加えられます。すべて合わせると計18本の塔がバルセロナの空を突くように聳えることになる構想とのことです。 現在の8本もステンドグラスをはめ込む予定の窓はほとんどがガラスなしのまま、内装もこれからと思う、中途半端じゃない芸術的な彫刻を施し構想どおり完成するのは100年後か?200年後か? 5、観光ガイドについて …スペインでは法律で国家試験による資格を持つガイドが同行することを義務付けられています。従っていずれの観光地でも資格を有するガイドと日本語が話せる人とがペアでお出ましという場面がほとんどでした。 資格があると何にもしゃべらんでただくっ付いているだけの人もいたりで収入になるんで羨ましいなあと思いました。(日当は日本語で話している人と分けるのかなあ?私が余計な心配せんでもよろしい。でもツア−代金がその分、割高になっているとしたら?変な法律ですよね。) |
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16才の時建築家を目指してバルセロナに移り住むが、生活費を稼ぐためアルバイトの日々、苦学の末1878年に建築家の資格を取得する。 彼の建築は曲線と細部の装飾を多用した、生物的な建築を得意とし、その独創的なデザインは多くの建築家や芸術家に影響を与え、そして装飾は形式的なものに留まらず、植物・動物・怪物・人間などをリアルに表現、そして彼は、設計段階で模型を重要視し、設計図をあまり描かなかった。
1926年6月8日、天才ガウディはミサに向かう途中交通事故で死亡、享年73才だった。 |
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受難の門 キリストの受難を表現、誕生の門とは対照的なすっきりしたデザインです |
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誕生の門 サグラダファミリアの東門にあたる誕生のファサードの上部中央にはキリスト降誕の場面が彫刻され、全体が膨大な数の動物や植物の彫刻によって装飾し、キリスト生誕の歓喜と栄光が表現されています。 正面に3体計6体の楽器を奏でる天使は、彫刻家として参加している唯一人の日本人、外尾悦郎氏の作品とのことです。 彼は1978年からサグラダファミリアの彫刻に従事し、数年前から主任彫刻家として現在もこの現場で日々彫刻を彫り続けているそうです。 すばらしいと思いました。いろんな人生があるんですね。 |
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バルセロナのモデルニモス建築 モデルニモスとは「新しい芸術」を意味するスペイン語で19世紀から20世紀初頭にバルセロナを中心に、カタル−ニャ地方で興った芸術復興運動とのことです。 モデルニモスが流行した当時、バルセロナは繊維産業を中心に経済の発展期だった、人口増加と経済成長の波に乗り、新興ブルジョアたちは街を華麗な建築で彩ることを望み、建築家たちに斬新なアイデァの設計を依頼したとのことです。 |
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引き続き11/8はバルセロナその2(サグラダファミリア・グエル公園へ) |
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