★ヘネラリフェア:イスマイルの塔よりの全景、下の略図の東側から見た感じです。一番左端の低い塔の建物は貴婦人の塔、隣接する屋上の部分がギザギザの長方形の大きな建物は王宮のコマレス塔、隣接したやや低い建物が王宮(メスア-ルの間と中庭、コマレス塔の大使の間とアラヤネスの中庭、2姉妹の間や諸王の間やアベンセラ-ベスの間に囲まれたライオンの中庭など14,000㎡の敷地)、尖塔はサンタ・マリア教会、隣接する一番大きい巨大な建物はカルロス5世宮殿(建物の中心に円形の中庭があります)です。離れて右端の要塞のような建物はアルカサバです。
★イスラム王朝最後の砦
711年にイベリア半島に進出したイスラム王朝は瞬く間に半島を制圧し、コルドバなどの都市では西ヨーロッパより遙かに高いレベルのイスラム文化を花開かせた。
しかし、レコンキスタでキリスト教勢力がこれを徐々に押し戻して行った、アルハンブラ宮殿は、イベリア半島最後のイスラム教国・ナスル朝が残した宮殿で、ムハンマド1世により13世紀前半に着工、約170年かけて王宮が完成した。
グラナダ王国として260年の栄華を極めた難攻不落の城塞は、1492年にキリスト教国により陥落した。
しかし、その美しさゆえに破壊を免れ、その後も増築が繰り返されて、世界有数の宮殿となった。
アルハンブラとは、アラビア語の「アル・ハムラー(赤いもの)」から来る言葉で、「赤い城」という意味。宮殿の壁が赤い漆喰で塗られていたことからそう呼ばれるようになったというが、他にも諸説があるようです。
★イスラム芸術の最高傑作
260年間歴代の王が増築に力を注いだ王宮の装飾はすばらしい、いたるところに施された果物や果物や草花をモチ-フとした彫刻、色鮮やかな幾何学文様のタイルなど700年も前にどのようにして、この様なさまざまな模様の精巧なタイルを何千枚、何万枚も製作したのか、恐らく手作業が主流の時代に現在の何百倍も人と時間を費やしたのでは想像し驚くばかりである。
見事な糸杉を背景に記念撮影です。
ツア-のみなさんでご夫婦で撮って上げたり撮っていただいたり、ツア-はこんな場面から親しくなって行くんですね。
帰国してからも何年もお付き合いしている友達が出来ました。
アセキアの中庭
1319年建造、王族の夏の別荘だったヘネラリフェは離宮と庭園からなり、アセキアの中庭はその庭園、中央に約50mのアセキア(掘割り)があり、堀の両脇より水が吹き出しア-チ型を描き清涼感ある水音がする。
何本かの秋のばらが咲いていましたが、バラの季節にはバラが咲き乱れ王族を癒したのだろう。700年も昔に現在のような水道の技術はなかったろうに、どのように噴水させているのだろう?この水は遠くのシェラネバダ山脈から引いてきたといいます。
アラブから来たイスラム教徒の水に対する憧憬と水利技術には、計り知れないものがあったのですね。
2006.11.12朝
モ-ニングコ-ル 6:30
荷物回収 ドアの外 7:00
朝食 7:00
出発 8:00
北に(下図左上)ダーロ川、南には『溶けた谷』と呼ばれる怖い名前の谷に囲まれた、標高700メートルの丘の上に建っています。城塞(2200メートル)は中心部がアルカサバを船首とした戦艦の形をしており長さ700メートル、幅200メートルで、城賽の総面積13ヘクタール(約4万坪というところでしょうか)に及ぶとのことです。
2006.11.11グラナダ泊
「グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区」それぞれ世界遺産に登録されています。
ライオンの中庭
14世紀に完成した「ライオンのパティオ」は宮殿の中で最も有名な中庭で、124本の大理石の細い列柱が立ちならぶ回廊に囲まれている。
中庭には十字に水路が走り12頭の可愛いライオンが水盤を支え、シエラネバダの嶺から流れ来る清水が噴水となって湧き出ています。
当時は1時間ごとに1頭が口から水を噴き出し、2時には2頭がと仕掛けられていた水時計だったとのこと。
ライオンの庭からのエリアは、王の寵愛を受けていた女性たちのハーレムであり、大理石柱の装飾はアラビア建築の最高峰といわれています。
「ライオンのパティオ(中庭)」の周囲には「諸王の間」「二姉妹の間」「アベンセラへスの間」などが配置されています。
☆入り口はラグ-ナ・タラセアという寄木細工の店の向かい辺りだつたと思います(Ⓢとはショップの略語)
ヘネラリフェの離宮(世界遺産)
アルハンブラ宮殿より更に300mほど山の手の森に建つ、王族の夏の別荘、噴水のある庭園があります。総面積1万4000平方メートルというからすごい広さです。
左端の塔はイスマイルの塔、ヘネラリーフェとは「 すべてを見尽くす者の住む楽園 」という意味だそうです。
遠くに山々が見え、糸杉が四角く刈り込まれた間を水路が走るのんびりした散歩道を辿ると離宮の入り口があります。この離宮はイスマイル1世( 在位1313~1325年 )が建てたもので、後に後継者が増築し、夏の別荘として使われました。
ラグ-ナ・タラセア
宮殿敷地内にある寄木細工の店、オリ-ブの木で作った小物入れなど品揃いは充実しています。製作中の模様も見学できます。
おみやげに数個購入した13ユ-ロの小物入れです。内部は赤のビロ-ドが貼ってあり宝石入れなどに使用できます
ヘネラリフェへ行く途中の森の中で、奇怪な鳴き声で奇怪ななものが木の枝に、思わずパチリ、口の辺りが枝で判別できないが、野生のサル?ガイド聞き逃し、不明?
宮殿入り口
ALHAMBRAのプレ-トが
カルロス5世宮殿
すぐ目に飛び込んできたのが大砲でした、大砲の背後に王家の紋章の刻まれたルネッサンス様式の宮殿が迎えてくれました。
神聖ロ-マ帝国皇帝カルロス1世の時代に建造し、孫のカルロス5世が一部を取り壊し増築、円形の中庭を正方形の建物で囲んだ珍しい建物、簡素なデザインの大理石の柱が使用された作りは、イスラムの繊細な宮殿とは趣が違います。
現在1階はアルハンブラ美術館、2階は県立美術館として利用されています。門の奥に円形の柱が2本見えます。
円形の中庭は過って、闘牛や騎士の決闘も行われていたとか。反響が良く現在は毎年行われるグラナダ国際音楽舞踏祭の会場の一つになっているとのことです。
グラナダ
11/11昨夜はマドリッドからラ・マンチャ地方⇒コルドバ経由⇒グラナダ 約560km 約8時間30分のバスの旅で疲れぐっすりお休みでした。
11/12の午前中はグラナダのアルハンブラ宮殿など観光です午後はミハスに向かいます。
ワシントン・ア-ヴィング(スペインのアメリカ大使館の書記官)
が1829年に3ケ月ほど滞在した部屋、入り口にそれを記したプレ-トが埋め込まれていた。この部屋でアルハンブラ宮殿物語を執筆一躍世界中に知られることになり、それがキッカケで改修の要望が沸き起こり19世紀に入りスペイン王室の命により改修工事がスタ-トし現在も続いています。
諸王の間の天井
入り口のア-チに鍾乳石が施された幾つかの部屋で区切られ、その中でステンドグラスの天窓の部屋が幻想的であった
大使の間
宮殿最大の部屋で約121㎡の大使の間では諸外国の大使による王への謁見(エッケン)や公式行事が行われていました。
世界遺産アルハンブラ宮殿のある…
バルカの間の天井
ヘネラリフェより撮影の宮殿その1
これもアラヤネスの中庭、反対側より撮影、カルロス5世宮殿の屋根の部分が写っていましたが、水面に鏡のように反射しているようすが印象的でした。
リンダラハの庭
2姉妹の間のア-チの奥にリンダラハの出窓があり、ここからのリンダラハの庭はすばらしい、出窓より撮影
アラヤネスの中庭
コマレスの塔を背景にして柱廊で囲まれた庭には、奥行き34.6m幅7.15mの池があり、薄紅色の天人花(アラヤネス)が植えられています。
コマレスの中庭とも呼ばれているようです。水面に陽ざしを浴びて鏡のように写し出されているコマレスの塔がとても綺麗でした。
ヘネラリフェより撮影の宮殿その2
1階の回廊からリンダラハの庭
メスアールの中庭
14世紀に建てられたアルハンブラ宮殿の中核をなす王宮は、宮殿北側に位置し、歴代21人の王が4人の正妻や妾たちと生活を共にしたところです。
二姉妹の間
2姉妹の間の部屋の隅に、椅子がありました。普段は宮殿の管理人さんが座っているのかも知れません。椅子をお借りし失礼して記念撮影です。2階建の夏の住居で天井は2段になっていて2連窓から差し込むやわらかな光で鍾乳石が施された八角形の天井の装飾が美しく輝いていました。
大使の間の奥にある窓から撮影の世界遺産アルバイシン地区の街並
ヘネラリフェへ向かう小径で記念撮影
何かを見つめている方向の左横にメスア-ルの間に通じる門があります。
バルタル宮と庭園-貴婦人の塔、バティ(庭)側より
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カルロス5世宮殿の壁づたいに王宮入り口に向かっているところてす。右の写真が、この画像の突き当たりで左にメスア-ルの中庭に通じる門があります。
コマレス宮のファザ-ド
貴婦人の塔(王宮側より撮影)
バルタル宮-貴婦人の塔