セビリアからポルトガルの国境を越えて約330km約4時間、長いバスの旅だった。

仕事とはいえ運転手さんの体力は相当なものです。ホテルを出発して市内観光の後、スベインの国境を超えたのは正午を回っていた。

エボラに到着したのは午後2時半頃、お昼はとっても遅い午後3時(スベインではこんな時間なそうです)でした。

明日は最後の行程、リスボンの世界遺産、ロカ岬とシントラの観光予定です、無事に楽しい旅になりそうです



国旗の緑色は誠実と希望を、赤色は共和制革命で流された血を表わし 、また緑色は勇敢なアビス騎士団の色で、赤色は新世界を発見するために冒険航海に出た勇気を表わす色とも言われています。

紋章には優れた航海術を象徴する天球儀と、ムーア人から奪い返した7つの城、ポルトガル王家を表わす盾などが描かれています。

ポルトガルの人口は約1040万人、面積約9万2000k㎡首都はリスボンです。

大西洋に突き出るように位置するポルトガル、なかでも北緯38度47分、東経9度30分のロカ岬は、ヨ-ロツパ最先端のの岬です。

南北に延びる海岸線は美しく、北東部には緑豊かな山間部がある。スペインのように大きな地域差はなく、全土を通して温暖で過ごしやすい海洋性気候のようです。

特に南部はヨ-ロッパの人たちが集まるリゾ-ト地として人気が高い、またこの恵まれた気候の元で作られるホ-トワインは、国の代表的な特産物になっています。

ポルトガル人が1543年に種子島漂着し、このとき我国に初めて鉄砲が伝来した。織田信長が全国統一するのはこれから30年後です、もし鉄砲が伝来しなければ統一は不可能だったかも知れません。



1549年にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に来航し、平戸、山口などで布教し、滞在は2年2ヶ月に及びました。

1582年(天正10年)には、大友・大村・有馬のキリシタン大名の書簡をローマ教皇に届けるための、いわゆる天正遣欧少年使節が派遣されました。

ヨーロッパに日本を紹介するという歴史的役割を果たし1590年に帰国した一行は太閤秀吉に謁見が許された。

その後1613年に伊達政宗の命を受けた支倉常長遣欧使節が派遣されたが、7年後に仙台に帰ったときはキリシタン弾圧の時代となっていました。

16世紀にポルトガル、スペインからわが国にもたらされた文化は、南蛮文化と呼ばれました。

ポルトガル語から日本語へ、また日本語からポルトガル語へ互いに影響を与えたといわれています。

リスボン


ポルトガルの首都

面積     約84k㎡
人口     約56万人
アクセス   ヨ-ロッパの主要都市経由で約16時間

地勢⇒大西洋に流入するテ-ジョ川の河口に位置する港湾都市である。テージョ川沿いのすぐ近くまで丘が迫っており、市街地の多くはその丘の上に発達している。
そのため坂の多い街であり、別名「7つの丘の街」とも呼ばれる。

これらの坂を上り下りする市電とケ-ブルカ-が名物である。市街地はテージョ川沿いの旧市街とその北の高台に広がる新市街からなる。

気候⇒典型的な地中海性気候であり、夏は晴れた日が多くほとんど雨が降らない。

時折アフリカ方面から来る熱波により40度近くなることもあるが、乾燥しているため日陰にはいると過ごしやすい。夜は気温が下がるので肌寒くなることもあリます。

冬は、ぐずついた天気が多くなるが、それほど気温は低くならない。また雪はめったに降らないそうです。

11/13と14日2連泊のGOLDEN TULIP ALTAIS PARK

正面玄関のネオンがとても綺麗でした

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国境のサイン


Part13     ポルトガル、エヴォラ観光(11/13の続き)


RESTURATE TIPICO  FAD O-FORCADO


人々の思いをせつせつと歌うファド


ポルトガル語で運命、宿命のことを意味する伝統歌謡で、郷愁の思いと切ない恋心を歌いあげる。

ギタ-ラ-というポルトガル独特の丸い形をしたギタ-の伴奏で女性は黒いショ-ルを身に着けてマイクを使わずに歌います。

下の画像の左の演奏者の楽器がギタ-ラ-です。普通のギタ-はヴィオ-ラと呼称し低音部を担当しています。

入店したのが午後8時半からで10時半まで、お食事しながらファドを楽しみました。お昼が3時でしたので食事時間の感覚が完全にずれてしまいました。

サン・フランシスコ教会

1510年に建てられたゴシック様式の教会。入り口のイスラム様式の優美なア-チ、乳白色の壁が美しかった。

外観だけの鑑賞になったが、内部には修道士が瞑想に使ったという天井画と金の装飾で飾られ、5000体以上の人骨で造られたという人骨堂があることで知られています。

2007.11.13朝
モ-ニングコ-ル   6:30
荷物回収 ドアの外  7:30
朝食         7:30
出発         8:00

15階建300室の豪華なホテルでした。私たちの部屋は12階でした。

国境沿いに流れる雄大なグアデイアナ川

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主祭壇

観光馬車

ディアナ神殿

2世紀末にローマ人によって建てられたコリント様式のディアナ神殿


スケジュ-ル(clickしてください)

エヴォラ

ポルトガル南東部にある町である。人口約6万人、スペインのーとの国境に近く位置しています。


エヴォラは、ローマ時代からこの地方の商業の中心として栄え、ルネッサンス期には大学も設置され学問の府でもあった。

日本から海を渡ってきた天正遣欧少年使節は、リスボン滞在の後、1584年9月にこの町を訪ね、大司教の歓待を受けたということです。

ローマ時代からの歴史的建造物が城壁の中にあり、1986年にユネスコの世界遺産に登録されています。

カテドラル

大聖堂は12世紀から13世紀にかけて建造され、ロマネスクとゴシックの様式が入り混じっている


10月5日通り

1910年、ポルトガルは王政から共和制へと変わった。それを記念する10月5日通りが、広場から東へ延びている。

聖アンタオン教会

イスラムからエヴォラを解放に活躍したジラルドの像のあるジラルド広場に出る。正面の建物はです。

近くの公園にあったヴァスコダ・ガマの銅像

ポルトガル

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