Part14     リスボン市街の世界遺産観光(11/14)

濃霧で視界不良、残念です………(T_T)

世界遺産ベレンの塔へ向かうバスの車窓から撮影したリスボンのテ-ジョ川、に沿った幹線道路の濃霧に包まれた夕暮れのような街角の風景ですが……。

全体スケジュ-ル(clickしてください)

世界遺産ジェロニモス修道院

全幅100mを遥かに超すのでは思われる建物で、大きすぎることと、濃い霧のため、奥の方がかすかにしか撮れていません。

残念無念、修道院の一部である手前の建物の向こう側にお椀型の塔が見えますが下の写真の左(サンタマリア聖堂と55m四方の庭を囲む回廊)と右(彫刻がすばらしい大きな南門)です。

中程は考古学博物館、奥の方の最左端にはそれらしい2個の塔がかすかに見えますが海洋博物館の入り口となっています。

ポルトガルが歴史上最も輝かしい繁栄を見せた時期は15世紀の大航海時代。そしてその貿易で得た莫大な富によって作られたのが、このジェロニモス修道院です。

マヌエル1世がエンリケ航海王子の偉業を称えるとともに、ヴァスコ・ダ・ガマの世界一周を記念して16世紀初めに建てられました。

修道院と付属のサンタ・マリア聖堂からなる建物の外壁の彫刻の豪華さ、優美さは、世界の海を制覇したポルトガルの栄光の時代がまさに反映されたものと言えるのでしょう。

リスボン

先頭はエンリケ航海王子でポルトガルの海外進出を積極的に行った大航海時代の先駆者です。

ヴァスコダガマやコロンブスらが続いているモニュメントです。

世界遺産「ベレンの塔」


ベレン地区はリスボンの街が崩壊寸前となった1755年の壊滅的な大地震にも耐え、大航海時代の栄華を今に残しています。

世界遺産「ベレンの塔」、テージョ川の沿岸にありますが、河口付近ですぐ海のそばです。

16世紀初めマヌエル1世の命により、船の出入りを監視する要塞として建てられた。以来500年間、この石造りの塔はリスボンからの出船・入船を見守ってきた。

ベレンの名はキリストの生誕地ベッヘルムに由来するそうです。

建設当時はテ-ジョ川の中だったが川の流れの後退により、現在は岸に建っているとのことです。

塔の高さは55m、1階は当時政治犯を閉じ込めた干潮を利用した水牢。

2階にはマリア像があり、要塞としての砲台が備えつけられています。3~5階は王族の居室

世界遺産ジェロニモス修道院南門

ガイドさんの説明風景

聖堂より移動して回廊へ

サンタ・マリア聖堂、主祭壇

世界遺産ジェロニモス修道院

栄光の時代を彷彿とさせるポルトガル建築の最高峰

左の写真は南門で、彫刻が繊細で見事です。

2階からサンタ・マリア聖堂の祭壇を眺めたもの

マヌエル様式の中庭

55m四方の中庭の回廊にはマヌエル様式(ロープや貝、花等を描いた)の最高傑作といわれる見事な彫刻でした。


発見のモニュメント

1960年エンリケ航海王子の500回帰を記念して作られた近代的な記念碑

ベレン地区の「発見のモニュメント」の前にある広場にある世界地図、写真はイベリア半島です。

2006.11.13から14日、リスボン2泊

11/15朝、帰国日(明日)

モ-ニングコ-ル   3:45

朝食(お弁当)

出発         4:45

2006.11.14朝

モ-ニングコ-ル   7:30

朝食         7:00

出発         9:00

リスボンは大西洋に注ぐテージョ川に面した古い街、ヨーロッパ最西端の首都です。

イベリア半島を大横断してヨ-ロッパの最西端まで世界遺産を中心に約1週間で巡るスペイン・ポルトガルのツア-、長い長いバスでの移動の旅でしたが、いよいよ明日は帰国日です。

でも早朝の5時前にはホテル出発です。最後の観光ですが、雨模様で深い霧に包まれ街の中もモヤがかかったような薄暗い朝です、午前中はこんな状態が続くようです。

大河テ-ジョ川と海が近く霧が出やすいのも判ります。でも残念です。

主祭壇(拡大)

礼拝堂

薄暗く幻想的な雰囲気の聖堂内

1922年に初の南太平洋横断を果たした飛行機サンタ・クルス号のレプリカ(本物は海洋博物館)とその飛行経路(リスボン~リオ・デ・ジャネイロ)を示す石碑

インド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマの棺(立派な彫刻の石造りでした)。 

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ポルトガル最大の詩人ルイス・デ・カモンエスの棺

2階の回廊への階段

サンタマリア聖堂、左に回廊が続く

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